わたなべ恵子

築地市場

Posted on: 11月 16, 2011

最後にブログを更新してから、早くも、半年が経ってしまった。

この間、何もしてこなかったわけではない。

3月11日の午前中、都議会で、築地が豊洲へ移転する予算が、可決してしまった。

その数時間後、あの、大震災が発生するのだが、配達へ行きながら、私はラジオから流れるニュースに、わが耳を疑ったものである。

あれだけ、移転する場所に問題があるというのに、食の台所を持っていくのか!?

憤りを感じた。

何より、買いにいらしてくださる顧客の足を考えているのだろうか?

新橋から、ゆりかもめで30分以上もかかる場所だというのに!

そればかりではない。

水産仲卸と、青果仲卸は、国道で遮られ、水産卸と、青果卸の端から端まで歩いてみると、実に25分はかかるという。

かごを持って、毎日買いにいらしてくださるお客様の足をまったく考慮に入れていない。

豊洲新市場は、こうしたお客様の足回りは考慮に入れていない。

豊洲新市場は、大型物流に対応した市場だからである。

大卸が、彼らの使い安さを重視して作られている。そこに、仲卸や、お客様の買い回りは考えられていないのが、残念である。

11日の震災で、豊洲市場移転予定地は、液状化した。

しかし東京都は、液状化工事を施せば、二度と液状化はしないという。

また、ベンゼンやロッカクロムなど、通常の数千倍という発がん性物質を含む土壌は、きれいに除染できるという。

ここで市場法10条を紹介したい。

10条は、市場開設の認可基準を策定している。

「農林水産大臣は、第8条の認可の申請がつぎの各号に掲げる基準に適合する場合でなければ、同条の認可をしてはならない

1当該申請に係る中央卸売市場の開設が中央卸売市場整備計画に適合するものであること

2当該申請に係る中央卸売市場がその開設区域における生鮮食料品等の卸売の中核拠点として適切な場所に開設され、かつ、相当の規模の施設を有するものであること」

これが、市場法10条である。

何が問題かというと、赤文字部分である。

4月に区民から負託を受けた直後から、私は、信頼のおける仲卸仲間とともに、かつて私が、司法試験受験を志していたころ、お世話になっていた弁護士の先生に、「移転を根底からひっくり返せる題材はあるか?」と尋ね、現在の市場が抱えている問題について、何度も検討し、それは8月まで時間を要した。

しかし、唯一、問題となるであろう部分が、市場法10条である。

食の台所として、移転するにふさわしい「適切な場所」ではない、豊洲の汚染地帯について、東京都は、「整備する」という。

技術会議でも、整備ができるという結論に至っている。

「相当の規模」ではない、豊洲市場移転予定地についても、「全員、仲卸は、希望すれば連れていく」と、私は東京都の職員から、ヒアリングを受けた時、そう聞いた。

しかしながら、実際は、適切な規模とはいえない線引きがなされている。

今のまま、建築が進められると、国道と、ゆりかもめの橋げたに分断される市場が出来上がる。

また、その内部も、先に書いたように、八百屋市場と水産仲卸市場が、25分もかかるという状況になる。国道は、ターレットを通さないので、荷物をどう搬入するのか?

水産仲卸の市場も、荷物を通す道が1本しかない。

店と店の間が1,5メートルしかない。

これでは、ターレットが2軒分、おけない。

荷物を上げ下げするのも、ターレットが通る道が1本しか作られていない。

こんな中央市場を作ったら、機能するはずがない。

しかしながら、東京都は、適切な市場を作っているので、10条にも違反しないという。

7月29日、東京都の都市計画決定が出され、中央市場は、26年4月から、豊洲で開場することが決定した。

時間軸を3月11日に戻そう。

3月11日に、都議会民主党で、ある議員が、現在地再整備の旗を掲げ、絶対豊洲移転反対と言っていた人なのに、あっさり、移転賛成と1票を投じた。

彼は、その日の午後、都議会民主党を辞め、世田谷区長選挙に出馬した。

その選挙のポスターが、突然、彼が身をひるがえした本当の理由を明確に物語っていた。

石原都知事と二人で並ぶポスターだった。

ここからは私見である。

初めに移転ありき。

私はそう感じている。

昭和10年、日本橋から、市場は移転しろと言われ、外国人居住地だった今の築地市場に移転してきてはや77年。

今では、生で魚を食べるという、日本人の魚食文化と、生で食することができるような新鮮な魚を大量にやりとりする日本一の中央卸売市場をぜひ見たい、という外国人が大勢、築地市場にやってくるようになった。

また、魚の手当てを得意とする日本人が、新鮮な状態で魚を供すること=寿司、という文化を、世界中に広めてくれた。

おかげさまで、この10年あまり、それまで、生で魚を食べるなんて???と思っていた、外国人の方々まで、「健康に良い」という理由で、寿司を好むような文化が広まった。

築地市場には、連日、こうした観光客の方々が、寿司を食しにいらっしゃる。

しかし、豊洲新市場は、外食できる場所も確保しているようであるが、何しろ、アクセスが悪い。

これまでのように、大勢の人たちが、築地市場のわさわさした賑わいを味わいつつ、おいしい寿司に舌鼓を打っていたような、そんな景色は、豊洲では見られないであろう。

仲卸たちも、こうした現状をどうしていくのであろうか。

築地移転賛成派の方々は、どんなビジョンを、豊洲で描いているのだろう。

とはいえ、行政手続きは、もはや止められない。

築地市場は、豊洲新市場へと移転することだけは、明らかである。

築地、という言葉は、世界中の食のプロは知っている。

この「築地」という食の文化と、信頼感がもたらしている価値は、絶対に継承しなければならない。

先日、テレビのニュースで、タイでは、「オオタ」というと、絶大なる信頼があるという話を聞いた。

大田とは、大田区の中小企業が作る製品を表す。

大田区のこうした企業が作り出すねじが、NASAの宇宙船で使われているという。

私は、これを聞き、築地も同様だと感じた。

大勢の人たちが、築地市場という名を広めてくれた。

そして、新鮮で、最高の品質の魚が、この市場には入ってくる。

厳しいプロの目が、さらにこうした魚の価値を見極める。

モノづくりが得意な、日本人の文化が、食文化にも好影響をもたらしたのだ。

だからこそ思う。

私たちは、築地市場が、たとえ移転したとしても、この食文化の価値は、継承し、さらなる発展を伴うように、あらたな1歩を踏み出していくべきだと。

長い歴史のなかで、時代の変化の局面に立つ人たちがいる。

明治維新もそうだったはずだ。

世界大戦を終えた時も、そうだったに違いない。

日本橋を追われるように、今の築地に移転したときだって、きっと、街に混乱が起きていただろう。

また、同じように歴史が繰り返すわけだが、後ろ向きな考えをベースに、食文化を守るつもりは毛頭ない。

築地、というブランドを、食に係る大勢の方々が作り上げていってくれた、こうした「信頼」は守るべき価値である。

大勢のお客様のために、自分の目利きを生かして、喜んでくださることだけが、励みという、うちの社員のような人たちもいる。

時代のあたらしい1ページを、どう築き上げていくか。

みんなで知恵を絞りながら、発展させていきたいと思う。

 

 

 

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